*職員へのインタビュー
あきらめない原動力は、愛情と信頼関係!! |
これは96歳で大学生になった方で、老人性痴呆症になった 奥さんの病気を治すお話です。90歳の時、奥さんは骨がもろ くなる病気に加え、痴呆症になり、寝たきりになってしまいま した。入院するものの、一向によくならない奥さんを見て、た まらず家に連れて帰ります。ご主人は最初に、何か刺激を与え ることで、妻の脳の働きをもとに戻せるのではないかと考えま した。その 刺激が生きる意欲を蘇らせるのではないかと思った のです。妻の好むこ と、反対すること、そのすべてを考え研究 してみた結果、独自の治療法・回復法を試みてみることにしま した。 たとえば、求めるものが欲しい、この欲求は人間本来のもの であり、動物が生きていくうえでの基本的な本能といえるでし ょう。そこで、人の多い雑踏や百貨店へ車椅子で連れて行き、 食品の品定めをさせてみました。また、和装のフロアーでは 「この着物はどうか」と勧めてみました。そんなことを続けて いるうちに妻は、少しずつ、「これは嫌い」「これは 好き」と、 物の判断をするようになりました。人間本来の本能を取り戻し てきたのです。さらに、値段の高いハデハデな服をわざと選ん で、「買わんか」と勧めると、「阿呆らしい」と言うようにな りました。また、赤い子供の着物を指して、「これを着たらど うや」と言うと、「そんな小さいもの着られるか」と反発しま す。正気の判断が芽生え始めていたのです。このほかに、食料 品の値段が高いか安いか、品の良い悪いの判別をし始め、だん だんと生きている自己の存在を主張するようになって回復して きたのです。病院生活中の痴呆はまったくといっていいほど消 えていきます。生き生きとした表情になり、喜びも言い、不足 不満も言う。自己の意思で好き嫌いをはっきり言う、損得の計 算高い女に妻は戻っていました。「奇跡だ」と私の周りの人々 は言いました。 本来、人間は動物的な存在です。動物は本能で生き、衝 動で 動き、感情で動いています。私も動物、妻も動物。 その動物の 中でも人間は、善悪を知る動物です。真の愛 情で接しているこ とを妻が知るなら、そこに信頼の情が 生まれます。その信頼関 係があるからこそ、妻は私の治 療の方針に従ってくれたと思う のです。私の顔も思い出 しました。「あんた、どこの人」とは もう言いません。 私が、「あんたと七十三年一緒に暮らしたの、 恋人同士 よ」と言うと、「てれくさいこと言わんといて。当た り 前やないの」と恥ずかしそうに言います。そのときはな ぜか 九十三歳の妻ではありません。二十一、二歳の結婚当時の新妻 としての声になっています。声の音、声の色は、もう痴呆症の 老婆のそれではありません。二人とも、なれ初めのころの男と 女の声になっていました。病院の医師が断言した「元には戻せ ない」という意味は、「元に戻す熱意がありません」というこ とと同じです。私は熱意と愛情で、あの手この手、この方法あ の方法と試してみた結果、妻を痴呆から回復させることに成功 したのです。 以上は『96歳の大学生』 (歌川豊国著・PHP研究所・1,350円+税)からのお話 です。 ベルローゼのデイケアでも、ナーシングホームゆうゆうでも、 ドライブツアーとかお買い物ツアー、日帰り旅行、遠くは東京 への旅行もしています。高齢になっても、いつまでも社会の一 員として、家に閉じこもることなく、社会に出て行って、いろ んな刺激を受けて、人としての自信や誇りを大切にしていって いただきたいと願っています。 (編集部) |